はじめまして。真矢恵花(まや けいか)と申します。
私の元には対人関係、恋愛のこじれ、駐在・転勤生活、キャリア不安など、さまざまな悩みを抱えた方がいらっしゃいますが、一貫して、目の前のクライアントさんが、納得してよりよい選択をしていくためのお手伝いをすることを心がけて日々お話を伺っております。
現在の私としか接したことのない方は、私の印象を
- 穏やかで周りへの気配りがきめ細かい
- 優しい雰囲気、だけど芯がしっかりしている
- 仕事を責任もって進めてくれる
- 問題の核心を的確に見い出して、気づきを与えてくれる
- 人をまとめるのが上手
- 誰とでもすぐに仲良くなれる
- 安心してなんでも話せる感じがする
などと、おっしゃってくださいます。
そんな私ですが、ここに辿り着くまでにはとても重たい、苦しい気持ちを抱えながら生きてきました。
その経験のごく一部ですら、お話しすると、とても驚かれます。
それでも、そんな経験があったからこそ、自分らしく生きていられている今の私がいて、そしてあなたをお手伝いすることができるのだと思います。
私は、自分自身で人生の選択をしていくことができるようになる「自分で決定できる人になる 脱・占いカウンセリング」を、占い師、そしてキャリアコンサルタントとしての知見・経験を活かして提供しています。
何よりもカウンセラーとの相性が重要
あなたが頼っている「何か」とは、占いかもしれないし、別の何かかもしれません。これまでに支援してきたクライアントさんにも様々な方がいらっしゃいました。
カウンセリングが上手くいくかは、何よりもあなた(クライアント)とカウンセラーとの相性が重要なポイントになります。
カウンセラーである私が一体どんな人間なのか、少し長くなりますがぜひご覧くださいね。
私のことを知っていただけるとうれしいです。
私が苦しんできた症状
私は今までの人生で、認識しているだけでも、過去、こんな症状に苦しんできました。
- 場面緘黙症
- セルフネグレクト
- 摂食障害(過食・拒食)
- 抑うつ状態
- 睡眠障害
- 社交不安症
この中で一番根深かったのは場面緘黙症、そして摂食障害です。
幼少期のこと、家族のこと
私には弟と妹がいます。自分の記憶では、下の二人が生まれる前は両親にとても可愛がってもらっていました。自分の中でそんな毎日が一変したのが二人が生まれてからです。
それまで自分を中心に回っていたのが突然放っておかれたような感覚になり寂しく思っていたのだと思います。今となっては母も二人の世話が大変だったのだろうと理解はできますが、幼かった自分には世界が灰色になった様に見えました。
少しでも親の気をひきたい、褒めてもらいたいと、ある日、寝ていた弟にブランケットをかけてあげて、母に報告にいきました。
すると、「なんてことするの!死んじゃうでしょ!」と一喝されました。
私はよくわからないまま、弟の頭からブランケットをかけていたのです。母に褒めてもらえる自分の姿を思い浮かべていたのに、ショックでした。
弟妹がいなければ自分はこんな思いをしないで済むのに、、、と次第に彼らが憎しみの対象に変わっていき、二人をいじめるようになりました。
そんな私を父はいつも厳しく叱るだけ。母もそれを見ているだけ。悪循環で心の安らげる場所がどこにもありませんでした。
年長になる頃、親の都合で幼稚園から保育園に転園しました。生活リズムも先生も雰囲気も何もかも環境が違い、戸惑いました。この頃から場面緘黙の症状が出てきました。また、同じクラスの子達の遊びがなんだかとても幼稚に見えてしまい、いつも引いたところで一人でぼーっとしていたことが多かったと思います。
担任の先生からはいじめを受けるようになり(お昼寝の時間に一人赤ちゃんクラスに連れていかれる、給食を残したことを咎められ給食室に謝罪に行かされる、ハサミがうまく使えないことをみんなの前でバカにされる等々)、そのうち、同じクラスの子からもいじめられるようになりました。
私は何も言い返せず、じっと耐えるしかありませんでした。
小学校に上がるといよいよ場面緘黙の症状を自分でも自覚するようになります。
話したいのに体が固まって話せない、笑うことも出来ない。休み時間は教室の外に出るように促されるので、しかたなく池の鯉を眺めるか鶏小屋を眺めるしかできない。
担任の先生は単に「静かな子」としか思わず、もっとお友達と遊びなさいとことあるごとに言われました。家では普通なので、親からも「あなたは内弁慶ね」と言われるだけ。私自身、どうしたらいいかわかりませんでした。
一つ救いだったのは、同級生からいじめられることはなく、単におとなしい子なんだ、という風に私のことを受け入れていてくれたことです。数少ないですが普通に会話ができる友達もいました。
そんな自分に「自分を変えられるかもしれない」と思う機会が訪れました。親の都合で地方への転居が決まったのです。過去の自分を知らない環境で心機一転、家にいるようにハキハキとしゃべってお友達もたくさん作りたい、そう思いました。
しかし、現実は甘くなかったです。初日はかろうじて頑張ってみましたが、あまりにも違う環境の小学校に、結局馴染めず、転校前以上に笑うことはもちろん、話すことが出来なくなりました。
一方で新しい環境に馴染んでいく弟妹。父親は弟ばかりを贔屓し、私は機嫌が悪い時に八つ当たりをする対象となっていきました。外にも家にも自分の精神的な拠り所がなく、毎日「ただ単に生かされている」そんな思いに。
そのうち入浴や着替えにも無頓着になっていき、周りからは「不潔」と言われるようになります。それでもそんな私に両親は何も言いませんでした。毎日が苦痛で、自分なんか消えてしまえばいいのに、とずっと思っていました。
これがセルフネグレクトというものだと知ったのは大人になってからです。
今振り返って思うのは、当時は、親に愛情や助けを求めることは無意識のうちに諦めて、自分の殻に閉じこもることで自分自身を必死に保とうとしていたのだろうな、と思います。誰かに気づいて救ってほしかったんだよね、辛かったよね、と当時の自分を抱きしめてあげたくなります。
大人になるまで気がつかなかった場面緘黙症
私は物心ついたころから大人になるまで、ずっと場面緘黙症という症状に苦しんできました。
家族や近所のお友達とは普通に元気に話して遊べるのに、登園・登校すると体が固まって言葉も出せない。
クラスメイトからは「なんでしゃべらないの?」「変なの」と言われ、先生からは、「おとなしい、人見知り」、親からは「内弁慶」とレッテルを貼られ、自分は苦しい、という気持ちに蓋をして「自分は人と違って変なんだ」と自分に言い聞かせるように生きてきました。
こんな状況を何とか変えたい、病院に行けば助けてもらえるのかも?と子供ながらに思ったりもしましたが、誰にも通院は勧められず、単に私自身の性格の問題だと言われ、私自身も自分の性格のせいなのだ、とずっと思い込んで自分を責めてきました。
ちなみに、場面緘黙症という症例が存在することを知ったのも社会人になってからのことです。きっかけはたまたま目にしたネットの記事でした。
初めて記事を目にした時の衝撃は忘れられません。「そうか、やっぱり人の助けが必要な症状だったんだ」「自分が性格が悪いんじゃなくて、症状だったんだ」と、長年抱えていたモヤモヤがすうっと、腑に落ちた瞬間でもあり、「私だけじゃなかったんだ」と勇気づけられた瞬間でもありました。
10年にわたる摂食障害との戦い
場面緘黙の症状自体は中学、高校、大学と進学して新しい環境になるにつれ次第に良くなっていくのですが、今度は摂食障害に苦しむようになります。
最初にダイエットを意識したのは中学生の頃だったと思います。ホームルームの時間におじきをしようとした瞬間、皆の前でぱちーん!!と、スカートのホックが弾け飛びました。
みんなに大笑いされたのを今でも覚えています。
ファスナーは上がっていたのでスカートが落ちることはありませんでしたが、このことがきっかけで自分が太ったことを自覚し、水ダイエット、りんごダイエットなどに走りました。
幸い、体重は、至って健康的に落ちていきました。
ところが、転校先の中学校に馴染めないことや受験のストレスから過食に走るようになります。せっかく減った体重はあっという間に10kg近く増えてしまいました。
高校に進学すると、周りの友人の影響もあり外見を気にするようになると、口にする食べ物のカロリーのことばかり考えるようになりました。すこしずつでも体重が減っていって、「細いね」「スタイルいいね」と言われるのが楽しくて、高カロリーな食材を口にすることへの抵抗がどんどん強くなり、拒食が進行していきました。
卒業時点では高校入学時の体重よりも20kg近く減っていました。
大学に進学すると、自分は自分のままでいいんだ、と思えるようになり、毎日が楽しくなっていきました。
と同時に、アルバイト先の賄いや連日の飲み会がきっかけでどんどん体重がリバウンドしていきます。
今までの人生を取り戻したいという思いが、私の体を重くしていくことになります。
そのうち、食べても呑み込まないで吐けばカロリー摂取しないで済むのでは・・・?と思うようになり、食べては吐く、を繰り返すようになります。
吐いては自己嫌悪。でも食べるのを止められない。気がつくと食べることを考えている。
そんな毎日が10年近く続きました。
「自分は他の人とは違う」コンプレックス
今振り返ると常に「自分は他の人と違う」「異質な存在」「マイノリティ」といった感情に苦しんでいたな、と思います。
まず、場面緘黙で人前で普通に振る舞えないこと、小学生時代に都会から田舎へ転校した際は周りから「都会から来た子」と奇異な目で見られ、中学生時代、都会に戻った時は逆に「田舎者」という目で見られてきました。
特待生入学した高校ではクラスメイトに合わせて勉強が出来ないふりをし続け、今度は大学では「自分と違ってみんな進学校出身者だ」という劣等感。さらに、就職先でも「自分と違ってみんな超一流大学出身」、海外生活では「自分は英語が出来ない」、常にそんなコンプレックスを抱えていました。そしてそのことを周りに悟られないように精一杯自分を保とうとしてきました。
うつ・不眠症を発症
場面緘黙を克服した高校・大学生活を経て、私が最初に就職したのは世間的にはいわゆる「超一流」と呼ばれる場所でした。たまたま採用面接に通ってしまった、そんな職場で、人に迷惑をかけずに職務をきちんと果たすことばかり意識していました。今思えば、責任感というよりは、周りが皆優秀であるが故のコンプレックスを人に見られたくないという思いが根底にあったと思います。
そんな中、とある上司の深夜週末問わず容赦無く振られ続ける仕事量にある日限界が来ました。普通なら到底しないような重大なミスを犯したのです。その事がきっかけで何か張り詰めていた糸が切れたような感覚になり、不眠症、そこから抑うつ症状へと進んでいきました。その事でさらに上司から咎められる悪循環。もう死にたい、と何度も思いました。
そんな私を救ってくれたのは隣の課の人たちでした。折に触れ、大丈夫?と心配してくれる人たち。私も今までの人生では考えられなかったほど、自分の辛い思いや状況を口に出す事ができました。そして、このままでは私が危ない、と、部署の異動を皆で働きかけてくれたのです。
異動後、私の状況を異動先の皆が温かく理解してくれたこともあり、心療内科に通いながらも、休職せずになんとか勤め上げる事ができました。 辛い時は自分を責めなくていいんだ、誰かに頼っていいんだ、SOSを発していいんだ、心からそう気づけた瞬間でした。あの時の同僚・上司達には今でも心から感謝しています。
とあるお坊さんとの出会い
就職して何年か経ち、職場から海外留学と海外勤務を打診されました。就職した当時は海外への憧れがあったものの、その時は激務の生活と心療内科通院でそんな気力は無くなっていました。それでも、周りからの勧めもあり、初めての海外生活が始まりました。
でも、英語も十分に準備しないままの渡航。環境の大きな変化、外国人のクラスメイト達の明るい雰囲気に圧倒され、自分本来の内向的な性格が自分を苦しめるようになりました。
留学に対して華やかなイメージを持っていた私は、「私もみんなと同じように社交的にならなければならない」、「でも言葉も十分じゃない、自信がない」「もう日本に帰りたい」、プレッシャーに押し潰されそうになりながら鬱々とした日々を過ごしていました。
現地でさまざまな心理療法を試してみたり、心療内科に通ったりしてみましたが、どれもイマイチ自分には合わず、どんどん自分の殻に篭っていくようになりました。
そんな時、たまたま目にしたのが現地日本人向け掲示板の「悩みをタロットで鑑定します」という書き込みでした。それを見た時、「助けてほしい」、「話を聞いてほしい」真っ先にそう思いました。
タロット自体は初めて出会った小学生の頃から、学生時代はずっと趣味のように細々と自分のことや友人を占っていました。けれども、社会人になってからいつしかその存在を忘れていたのです。
驚いたことに、鑑定してくれたのは、現地に出向でいらしているとある宗派のお坊さんでした。タロットで私の置かれている状況やこれからについて鑑定してくれました。
その時、一番私の中に光が差したのは、そのお坊さんの「自分がどうしたいか、それが大事。周りを見てこうしなきゃなんて思わなくていいの。嫌なら無理しなくていいの。」そんな一言でした。
今思えば、あれは単なる占いではなく、私にとってベストなカウンセリングだったのだと思います。
その相談がきっかけで、それまで毎日思い詰めていたのが嘘のように気持ちが軽くなり、残りの海外生活を充実して送る事ができました。
そして、再びタロットを、今度は自分と向き合うために使うようになったのです。併せて、数秘術や九星気学といった命術も学び始めました。
国家資格キャリアコンサルタント/占い師として
転職、そして結婚・育休を経て、仕事に復帰したものの、自分の体力も時間も余裕もない。そんな自分の評価は相対的にどんどん下がっていく。そんな毎日の中でずっと、「ここにいる意味はなんだろう」「私にしか出来ないことをやるべきじゃないか」と葛藤していました。
そんな折、ここにいても自分が虚しくなるだけだ、と思う決定的な出来事があり、退職を決意。しばらく仕事から離れて次の道を考えようと思っていた矢先、偶然目にしたのがキャリアコンサルタントという国家資格ができるという案内。
調べていくうちに、自分がかつて心理カウンセラーを目指していたこと、職場でまだ若手のうちから部署・性別・役職問わずいろんな方から(なぜか)キャリアパスや職場の人間関係といった悩みを相談されてきたことがよぎり、「自分にしか出来ないことってこれだったんだ!」とストンと腑に落ちました。
試験に無事合格、キャリアコンサルタントとして、仕事に関するカウンセリング・コンサルティング業務に従事するようになりました。
実は「キャリア」に関する相談は実は幅広く、人生全体がその人にとってのキャリア。仕事面に留まらず、より幅広い対人支援がしたいと思っていた折、趣味としてではなく、プロの占い師として活動しないかというお誘いをいただきました。
こうしてキャリアコンサルタントと占い師、二足のわらじを履くことになりました。
カウンセラーとして
私はクライアントさんに応じて、キャリアコンサルタントとして、あるいは占い師として相談をお受けしていますが、「これは占いからアプローチした方がよいのでは?」と思うキャリア相談、あるいは「キャリアカウンセリング手法を用いた方がより納得いくのでは?」と思う占い相談にしばしば遭遇するようになりました。
でもクライアントさんは私をキャリアコンサルタント、あるいは占い師として見てきます。
だったら、最初からその二つの手法を組み合わせたカウンセリングをしてみたらどうか?と思ったのがこのカウンセリングサービスを始めたきっかけです。
また、占い師として、占い依存に陥っているクライアントさんが多いことにも気づきました。「自分でもこんなに占いばかりに頼りたくないって分かってるのに・・・」「もう諦めないといけないって分かってるのに」と言いながらも占いに頼ることをやめられないクライアントさんたち。
そういう方たちが、自分の意志で、自分の未来を作っていく助けになりたい、私が占い師でもあるからこそ、寄り添えることができるはず、そう信じています。
誰もが自分で自分の未来を切り拓けるように
今こうして自分の歴史を振り返って考えると、私は常に人の目を気にしていて、自分は他の人とは違うんだ、と違うことに対する劣等感を感じ続けて来たように思います。
また、回り道をしましたが10代の頃に心理カウンセラーを目指そうと思った自分の気持ちは、ずっと水面下に潜ってはいたけど揺るぎなかったんだ、ということに気づきました。
そうした私自身の経験から通して言えるのは、自分は自分であって、他人からの評価や目線を気にする必要は全くないということ。一方で、他人から受け入れられていることの安心感、他人に助けを求めることは恥ずべきことでもなんでもないのだ、ということ。また、自分がこうしたい、と選択することが自分自身の人生を納得して送るたった一つの方法なのだ、ということ。
自分の経験してきたことは全て自分にとって、また誰かのために必要な無駄にならない経験だった。 そんな思いから、あなたの人生をよりよくするお手伝いができれば、と思っております。